鋳鉄鋳物研究所とは

不撓不屈の、ものづくり 

1950年2月、岐阜県各務原市。戦争の爪痕が残る街の一角で、ある男の挑戦が始まりました。彼の名は、松原 啓吉。県内で料亭や料理旅館を営む、松原家の15代当主です。

啓吉が挑んだのは、より公益性の高い新事業への進出でした。地元・岐阜地域の復興と、この国の経済再生に貢献する産業とは何だろうか――考えを重ねて辿り着いたのが、金属製品をつくる鋳造業。交流のあった実業家仲間からも、鋳造を担ってくれるのなら是非とも仕事を頼みたいと声が掛かりました。

そんな期待に応えるべく、啓吉は、経営する旅館の一部を鋳造所へ変えることを決意します。宴会場の一画の畳を外し、床を打ち抜いて土間に変え、そこへ大人の背丈ほどの小さな甑炉 (こしきろ) を据えました。1tほどの容量しかない炉で少しずつ溶湯を作っては、薄物や小物と呼ばれる、難しい鋳造部品を仕上げる日々。しかしその積み重ねが評判を呼び、いつしか「鋳物のことなら、松原に頼めば何とかなるぞ」と言われるまでになりました。

啓吉のそんな “不撓不屈” の精神は今も、マツバラの従業員一人ひとりに根付いています。

「鋳物のことなら、まずはマツバラへ」
胸を張ってそう言える私たちの発信の場が、『鋳鉄鋳物研究所』です。

鋳造にまつわる話題を、溶湯に負けない熱さで発信していきます。